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| 兵庫県釣針協同組合 理事長 田尻 忠 |
ようこそ、我が「兵庫県釣針協同組合」のホームページをお開き頂きましてありがとうございます。
当組合は昭和13年4月に「播州釣針釣具工業組合」として誕生し、その後の幾多の法改正の
庇護を受けながら、今日の「兵庫県釣針協同組合」へと、拡大発展してまいりました。
さらに、過去を顧みますと、三草藩領下久米村の庄屋・小寺彦兵衛翁がその公職に挫折を感じ、
生来の夢を或いは確固たるものを手に入れるために五代に亘る栄光を投げ捨て、私人として四
国巡礼の旅を選択されました。その道々に考えつかれた「針づくり」でありました。
苦節10年の滅私奉公で会得したその『技』を農家・地域経済を救済するために、故郷の下久
米村に持帰られて多くの弟子達を育て、持てる技の全てを伝授するという公開主義を貫かれた
ので、瞬く間に北播磨の広い範囲に伝播して行ったと伝えられています。職人が増えると同時に
安売り等の混乱も発生しました。職組は「寿永溝」を作り協調・話し合いの場を設けて、現在の
「協同組合」のような相互扶助的機能をそこに期待したのであります。
高い貢租に困窮していた農家の家計に現金収入の道を切り開いたことにより、大きな経済効
果を地元にもたらしました。職組の公開主義がなければこのような発展も不可能であったと思わ
れます。このことは、職人の心を一つにするという大切なことも教えているわけです。また、三草
藩領主は『釣針を藩の専売商品』に取り上げようとしましたが、職組達は身を挺してこの計画に
反対し粉砕しました。小寺彦兵衛翁は、自己の利益のみを追求したのではありませんでした。
地域の人々を救うという義侠心とか慈善庄屋といわれた性質、生来の性格は最後まで失せては
いなかったのです。
しかも、職組の意志を受け継ぐ多くの後継者、改革に手を付けた者達、その技術と伝統を守り、
発展させてこられた先覚者・先輩達に改めて感謝と慰労の言葉を捧げたいと思います。
今や、日本の播州で生産された『播州針』は国内はもとより世界の評価を受けるようになってい
ます。今を生き抜く彦兵衛翁の弟子達は兵庫県釣針協同組合の旗の下に集まり、力を結集して
播州釣針産地の一層の発展のために日夜努力をしていますので、釣り人の皆様、関係諸団体
の皆様、これからも宜しくご支援、ご鞭撻、ご愛顧のほどをお願い申し上げます。